あの日の鎌倉殿
極上信玄餅だそうです。
餅が確かに美味しい。ごちそうさまでした。
なんだかんだと見ている鎌倉殿。でも、13人が本格的に活躍するのは頼朝が死んでからじゃないの?序章でこんなに回数使っちゃって大丈夫なのかな?と、余計な心配も。
10年近く前東北の某県某市に住んでいたある年の12月。今にも雪が降りそうな空の下、買い物に出たときエントランスホールに見慣れない6年生くらいの男の子がしゃがんでゲームをしていました。マンションの子は殆ど顔見知りなので、この子は誰かの友達でエントランスで待ち合わせをしているんだろうと、その時は思っていました。
1時間以上買い物をして、4時ぐらいだったでしょうか。いよいよ寒く暗くなり始めた頃マンションに戻ってくると、さっきの男の子を囲むように近所の若夫婦が立っていました。私が何があったのかと尋ねると、ご夫婦が言いました。
「この子、鎌倉からひとりで来たんですって。」
鎌倉って神奈川県の?
鎌倉からココまでは、東京へ出てさらに新幹線で2時間以上ですよね、、、どうしよう?とそのご夫婦と固まりつつあった私。次の瞬間、その子に声を掛けていました。
「うちには君と同じくらいの男の子がいるんだけど、くる?」
「はいっ」
家に帰って家族に事情を手短に話し、取り急ぎ夕飯。朝から何も食べないで、有り金はたいて新幹線に乗ったという彼。我が家について開口一番ゲームの充電させて下さいと言われたときは、充電器を持ってくる周到さと財布の残金が数十円というアンバランスに驚きました。すぐにうちの子どもたちともすぐに打ち解け、ゲームで盛り上がり。暫く経ってからお家の人に電話をさせ、途中から私が代わって現状を説明すると、もしかして〇〇マンションですか?と、お父さん。実は1年前までここの住人だったと、悲しそうに言いました。
新幹線の最終で来るという父親を待ちながら、その子は学校でいじめにあっていること、自分は空手をやっていてイジメっ子を倒すことは出来るけどそれは絶対にやらない、小さな兄弟がいてお母さんは忙しいなどを話してくれました。都内にいたらしく父親は意外と早く我が家に到着。学校でのことは把握していて、子供とこっちに戻ってくることも考えていると話してくれました。
どんな気持ちで鎌倉から東京に出てここまで来たのかと思うと、胸が詰まりました。よかった、途中で早まるようなことしないでくれて。そう伝えると、男の子は笑っていました。暫くして県内にあるという父親の実家に向かって、二人は帰って行きました。
後日、宅急便が届きました。送り主は男の子の父親。ですが、送り状は柔らかい女文字で、母親が書いたのだろうと思いました。
中身はサブレー。翼の付いたサブレーだけでした。
翼を付けてこの街に飛んで来たいのは、あの男の子。お家の人に電話してと言ったとき、父親に電話した理由がなんとなく分かった気がしました。
鎌倉と聞くとあの子を思い出す。どうか、笑っていてほしい。そんなこともあったよなーって、笑っていて欲しい。
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